成相山成相寺

 
 

成相山成相寺 写真

鐘楼
鉄湯船
観音堂
一願一言地蔵
楽寿観音像
十王堂
熊野権現社
五重塔
弁財天社
本堂
本堂2

 

成相山成相寺諸堂(写真)解説

鐘楼の撞かずの鐘
 慶長十四年(一六〇九)山主賢長は、古い梵鐘にかえ新しい鐘を鋳造する為、近郷近在に浄財を求め喜捨を募った。一回、二回と鋳造に失敗し、三回目の寄進を募った時、裕福そうな家の女房が「子供は沢山居るがお寺へ寄付する金はない」と険しい目の色で断った。
 やがて鐘鋳造の日、大勢の人の中に例の女房も乳呑児を抱えて見物していた。そして銅湯となったルツボの中に誤って乳呑児を落としてしまった。此の様な悲劇を秘めて出来上がった鐘を撞くと山々に美しい音色を響かせていた。しかし耳をすますと子供の泣き声、母親を呼ぶ悲しい声、聞いている人々はあまりの哀れさに子供の成仏を願って一切この鐘を撞く事をやめ、撞かずの鐘となった。
(成相寺鐘楼解説板より)

鉄湯船(重要文化財)
 正応3年(1290年)銘
 この鉄湯船は正応3年(1290年・鎌倉時代)に完成し、天橋立の智恩寺にある「鉄湯船」、東大寺の建久8年(1197年)銘のものと合わせ、我が国の三大鉄湯船と言われています。
当山の湯屋にて湯船として使用していたもので、直接入るのではなく湯釜で沸かした湯を入れ、かかり湯をするために用いられたと思われます。
後に薬湯を沸かして怪我や病気の人を治療したとも伝えられています。
(成相寺境内解説板より)

観音堂
 西国三十三霊場の各ご本尊を安置しています。

一願一言(ひとこと)地蔵
 この地蔵さんは唯一願(ひとつねがい)を一言でお願いすれば、どんな事でも必ず叶えて下さると伝えられる、大変あらたかなお地蔵さんです。
安楽ポックリの往生も叶えられると伝承されています。
約620年前に創られた大変古いお地蔵さんです。堂司
(成相寺境内解説板より)
一願一言と書いて『ひとこと』と読みます。

十王堂
 孔雀明王・閻魔大王・賓頭盧尊者を安置しています。

熊野権現社
 延宝4年(1676年)9月8日に上棟された成相寺に現存する最古の建築物。保存のため、社殿の周りを小屋が覆っています。

五重塔
 鎌倉時代の形式をそのままに復元、1998年(平成10年)4月の完成。
 前方の池は左甚五郎がモデルにした龍が住むと言われている「底なしの池」。

弁財天堂
 左甚五郎がモデルにした龍が住むと言われている「底なしの池」に安置されています。


本堂(京都府文化財)
 美人観音として名高い本尊の聖観世音菩薩は、33年に一度開扉の秘仏。
 成相寺本堂の中には左甚五郎の作といわれる「真向の龍」があります。

成相寺の美人観音由来
 五条の右大臣高藤の子は、観音析願の授かり子玉若君を大変可愛がり二歳の時四位の侍従の位を得て、丹後但馬の国を与えられた。 小さい時から笛を上手に吹いて居られたが十三歳で父母を亡くし孝行な子であっだので、一週間笛を吹いて供養していた。その笛の音 を聞いた梵天国の王(仏教の主護神)が、「吾が姫を嫁に差上げよう」と云い、美しく心の優しい姫君を妻に迎え人れられた。此の話 を聞かれた天皇が羨まれて「おまえの妻を内裏に参らせよ」それが出来ねば……と無理難題を申出されたが二人のカで総て叶えられた。 最後の難題「梵天国王直々の御判が欲しい」との事。中納言は父君に当る梵天国に行き食事を与えられだ時、側で人でも鬼でもない飢 えた骸骨の様なものが食事を求めた。慈悲深い中納言は哀れに思い御飯を与えた。すると一粒千人力と云う米を今ぺて鎖を切り大空へ 飛んて行った。これが羅刹国のはくもん王(悪鬼)てあった。はくもん王は邪恋していた中納言の妻を奪い羅刹国へ帰った。中納言は 御判を頂いて帰ったが、妻の居ない家や世の無常を感じお髭(もととい)を切り出家して願を掛け妻を助けられる様析った……。妻を救い出し都へ 帰ったが、都の生活を嫌い丹後へ下られ妻は成相の観音様となり、中納言は久世戸の文珠となられた。そして一切の生物をお救いなさ れたと、成相観音は美人観音、美人になれる観音様として名高い。(御伽草子梵天国より)
(成相寺入山パンフレット「成相寺参拝ガイド」より)

第27番 円教寺

第28番 成相寺 解説

第29番 松尾寺
 

西国33観音解説

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