五山制度−鎌倉五山・京都五山

鎌倉五山

 五山の制度は印度の五精舎にならい、中国南宗末期に禅宗の保護と統制のため格式高い五つの寺を定めたことに由来する。  鎌倉幕府が開かれる前年の建久2年(1191年)に南宋から帰国した僧侶栄西らによって伝えられた禅宗はその後隆盛を極め、鎌倉時代の末期、幕府は次々と大寺院を建立。鎌倉五山とは、鎌倉時代に中国の五山制度にならって鎌倉の禅寺に設けられた五大官寺のこと。北条氏は、南宋にならい五山制度を導入、鎌倉の 主な禅刹を五山と呼ぶようになり、鎌倉幕府滅亡後の室町初期には鎌倉・京都それぞれに五山が定められ、それに次ぐ十刹と緒山が選ばれこの制度が定着したと いわれる。その後たびたびの改定を経て、至徳3(1386)年足利義満のとき、五山の上に南禅寺がおかれ、京五山として天竜寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺、 鎌倉五山として下記の五寺が定められた。元和元年(1615)には徳川幕府が五山十刹に対し法度を出した。  もともとは、寺を格付け管理し、官が任命権をもって順次格式の高い寺に昇任させる制度。
建長寺(けんちょうじ)
 鎌倉五山の第一位
 臨済宗建長寺派大本山
 正式には巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)という。
 鎌倉幕府第5代執権北条時頼が宋僧蘭溪道隆をむかえ、1253(建長5)年に落慶供養して開いた寺院で、建物は南宋の径山万寿寺を 模した本格的な禅宗様式で、その後のわが国の禅宗寺院の建築に大きな影響をあたえた。開山は南宋の高僧、蘭渓道隆。日本で最初の禅宗道場。本尊は仏殿に安置されている地蔵菩薩。庭園 無窓疎石の作。境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定されている。
北鎌倉駅徒歩15分 JR鎌倉駅よりバス。
円覚寺(えんがくじ)
 鎌倉五山の第二位
 臨済宗円覚寺派大本山
 正式には瑞鹿山円覚興聖禅寺(ずいろくさんえんがくこうしょうぜんじ)。  執権北条時宗が1282(弘安5)年、元寇の戦没者追悼のため宋僧の無学祖元を招いて開いた寺院で鎌倉時代を通じて北条氏に保護された。
 建物は創建当初から、いりくんだ谷間のわずかな平地を利用しながら 禅宗風の伽藍配置をもった堂塔が多くならんでいたが、たび重なる火災で、創建当初の建物はすべて失われている。現存する、室町初期の建築とみられる舎利殿は、 禅宗様を代表する建物。本尊は宝冠釈迦如来。JR北鎌倉駅前。
寿福寺(じゅふくじ)
 鎌倉五山の第三位
 臨済宗建長寺派
 正式には亀谷山(きこくさん)金剛寿福禅寺という。源頼朝の夫人北条政子が、臨済宗を日本に伝えた栄西を鎌倉にむかえて1200(正治2)年に建立したと いわれる。最初は密教系の寺院であったが、その後蘭溪道隆・大休正念らの宋僧が住持になると宋風の禅宗となって発展し、塔頭も14院を数えていた。
本尊は釈迦牟尼仏。境内は「寿福寺境内」として1966年(昭和41年)、国の史跡に指定されている。
JR横須賀線・江ノ島電鉄鎌倉駅徒歩15分。
浄智寺(じょうちじ)
 鎌倉五山の第四位
 臨済宗円覚寺派
 山号は金峰山(きんぽうざん)。
北条宗政とその子師時によって、1281(弘安4)年頃創建されたといわれている。鎌倉末期には堂塔も整い、伽藍も大規模になったようで、塔頭も11院 を数え円覚寺とその規模を誇ったという。本尊は阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来の木造三世仏坐像で、それぞれ過去・現在・未来を象徴する。裏手洞窟に布袋尊。
JR横須賀線北鎌倉駅から徒歩10分。
浄妙寺(じょうみょうじ)
 鎌倉五山の第四位
 臨済宗建長寺派
 正式には稲荷山浄妙廣利禅寺(とうかさんじょうみょうこうりぜんじ)。浄妙寺は他の五山が北条氏と関係が深いなかで、足利氏と関係のある寺。1188(文治4)年、足利義兼が建てた真言宗 極楽寺が前身で、その後臨済宗に改宗し発展した。室町前期、幕府から五山の寺格を得、足利氏の保護のもとに七堂伽藍をそなえ、塔頭23院を数えて寺勢をほこって いた。本尊は釈迦牟尼仏。足利貞氏の墓とされる宝篋印塔がある。
鎌倉駅から京急バス金沢八景、鎌倉霊園方面行き「浄明寺」下車すぐ。

京都五山

(上記鎌倉五山の解説と一部重複します)

 五山の制度は印度の五精舎にならい、中国南宗末期に禅宗の保護と統制のため格式高い五つの寺を定めたことに由来する。 鎌倉幕府が 開かれる前年の1191(建久2)年に南宋から帰国した僧侶栄西らによって伝えられた禅宗はその後隆盛を極め、鎌倉時代の末期、幕府は次々と大寺院を建立。 鎌倉五山とは、鎌倉時代に中国の五山制度にならって鎌倉の禅寺に設けられた五大官寺のこと。北条氏は、南宋にならい五山制度を導入、鎌倉の主な禅刹を五山と 呼ぶようになり、鎌倉幕府滅亡後の室町初期には鎌倉・京都それぞれに五山が定められ、それに次ぐ十刹と緒山が選ばれこの制度が定着したといわれる。その後たび たびの改定を経て、室町時代の1386(至徳3)年に、3代将軍の足利義満により、五山の上に南禅寺がおかれ、相国寺を創建し相国寺を第一位、天龍寺を第二位とする順位変更が行われたが、義満没後の1410(応永17)年に元に戻された。1615(元和元)年には徳川幕府が五山十刹に対し法度を出した。
 もともとは、寺を格付け管理するための足利氏の政治政略的な格付け、官が任命権をもって順次格式の高い寺に昇任させる制度。
 
南禅寺 (なんぜんじ)
京都五山の上
 臨済宗南禅寺派大本山
 正式には瑞龍山太平興国南禅禅寺(ずいりゅうさんたいへいこうこくなんぜんぜんじ)。
1291(正応4)年、亀山法皇が離宮を禅寺にし無関普門禅師(大明国師)を開山に迎えて開創。京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの寺院で、日本の全ての禅寺のなかで最高位の格式をもつ。本尊は釈迦牟尼仏。
鉄道 京都市営地下鉄 東西線蹴上駅
バス 南禅寺・永観堂道 バス停
天龍寺(てんりゅうじ)
京都五山の第一位
臨済宗天龍寺派大本山
霊亀山天龍資聖禅寺(れいぎざんてんりゅうしせいぜんじ)
天龍寺の西方にある小倉山の姿が亀の甲に似ていることから、山号を「霊亀山」とした。
 足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、後醍醐天皇一派(足利尊氏とは敵対していた)の離宮であった亀山殿を寺に改めたのが天龍寺である。開山(初代住職)は夢窓疎石。 寺の建設資金調達のため、天龍寺船という貿易船が仕立てられた。
 度重なる火災により、現存の伽藍の大部分は明治時代後半以降のもの。方丈の西側にある夢窓疎石作の庭園が特別名勝・史跡に指定されている。方丈の北側には、宮内庁管理の亀山天皇陵と後嵯峨天皇陵がある。本尊は釈迦牟尼仏。
世界遺産古都京都の文化財
京都市営バス嵐山天龍寺前下車、京福電鉄嵐山駅下車。
相国寺(しょうこくじ)
京都五山の第二位
臨済宗相国寺派大本山
万年山相国承天禅寺
(まんねんざんしょうこくじょうてんぜんじ)
1382(永徳2)年室町幕府・三代将軍足利義満が禅修行の寺の建立を発願した当時の官位が左大臣で、中国のこの官位が相国と言うので寺号を相国寺
とする。後小松天皇の勅許を得て、春屋妙葩(しゅんおくみょうは)の協力のもとに1392(明徳3)年完成。開山は死去してから30数年が過ぎていた夢窓疎石。春屋妙葩は第2世住職。後の東山文化を形成した、五山文学の中心となり画僧周文や雪舟は相国寺の出身である。度重なる焼失により、現存の伽藍の大部分は 19世紀はじめの文化年間の再建。観光名所として著名な金閣寺(鹿苑寺)、銀閣寺(慈照寺)は、相国寺の境外塔頭(たっちゅう)である。
本尊は釈迦牟尼仏。
地下鉄烏丸線今出川駅下車徒歩5分。
建仁寺(けんにんじ)
京都五山の第三位
臨済宗建仁寺派大本山
山号を東山(とうざん)、元号を寺号としている。
日本に臨済宗を伝えた栄西ははじめ九州博多に聖福寺を建て、のち鎌倉に移り寿福寺の開山となる。その2年後の1202(建仁2)年、 鎌倉幕府2代将軍源頼家が寺域を寄進し宋国百丈山を模して建立された。当時の京都では真言、天台の既存宗派の勢力が強く、創建当時の建仁寺は天台、真言、禅の三宗兼学の道場だった。
俵屋宗達の「風神雷神図」、海北友松(かいほうゆうしょう)の襖絵などの文化財を豊富に伝える。豊臣秀吉を祀る高台寺や、 「八坂の塔」のある法観寺は建仁寺の末寺である。本尊は釈迦牟尼仏。
京阪電車「祇園四条駅」より 徒歩 7分
阪急電車「河原町駅」より 徒歩10分
市バス 「東山安井」「南座前」「祇園」「清水道」
東福寺写真 東福寺(とうふくじ)
京都五山の第四位
山号を慧日山(えにちさん)
臨済宗東福寺派大本山
 摂政九条道家(摂政・鎌倉将軍藤原頼経の父)が、高さ5丈(約15メートル)の釈迦像を安置する大寺院を建立。1255(建長7)年に完成する。 寺名は奈良の東大寺、興福寺の二大寺から1字ずつ取って「東福寺」とした。諸堂の完成は1271(文永8)年。円爾弁円(えんにべんえん 賜号 聖一国師しょういちこくし)を開山に仰ぎ、当初は天台・真言・禅の各宗兼学の堂塔を完備。高さ5丈の本尊釈迦像は二度焼失し、長さ2メートルの巨大な手だけが現存するという。
JR奈良線・京阪本線「東福寺駅」下車徒歩10分。
市バス 「東福寺」バス停下車。

万寿寺(まんじゅじ)
京都五山の第五位
現在は臨済宗東福寺の塔頭(非公開)
1097(永長2)年白河上皇が皇女の追善のために内裏を仏寺「六条御堂(みどう)」にしたのが始り。
正嘉年間(1257年-1259年)、天台浄土教から臨済宗寺院となり、寺号も万寿禅寺と改めた。
1358(延文3)年には京都五山の五位になる。
1434(永享6)年の火災以後寺勢衰微。1591(天正19)年、現在の東福寺北側に移転。
1881(明治14)年に東福寺の仏殿が焼失した際、万寿寺にあった釈迦三尊像を東福寺本堂に移して新しい本尊とした。 元来は1873(明治6)年に万寿寺に合併された三聖寺に安置されていもたの。 1886(明治19)年に東福寺の塔頭になる。 万寿寺境内入口にある鐘楼門は室町時代の建築で重要文化財。 指定名称は「東福寺鐘楼」である。
京阪本線およびJR奈良線「東福寺」下車