遠路ようこそ飛鳥寺へ!御一読を

 現在の本堂は古えの中金堂(一塔三金堂)の位置に相当し本尊飛鳥大佛は千三百九十有余年間そのままに座したまうは奇跡の存在といえよう。
 平安朝まではより以上に膨張し中世以後天災地変、自然崩壊のため境内は1/20に縮小されたが、この長閑な青垣山こもれる風景に麗しい殿堂があった昔を偲べばうたた感慨無量といえようか。
 聖徳太子は橘の藁(わら)小屋で生まれたまい、大陸の先生に先進国の学問を受け、その粋を取って国民の守るべき十七条憲法を示されたのがこの本尊に誓ってのことであった。
 蘇我馬子が決戦の暁、強引に飛鳥寺に着手したことは必然的に飛鳥文化の扉が開けゆく固い約束にもなった。
 即ち国家数千年の大計をを果し得たことは権力の野望を充した一面見事な光彩を放ち得たといえよう。

 驚くなかれ!佛法最初という寺のいくつかある中でも又、シルクロードの終点といわれる寺のいくつかある中で飛鳥寺こそその終着点であり、日本の起点になったことは先ず疑いなき事実なり。
 太子の師恵慈、慧聡が都の本格的なこの寺に住まわれたことも感激すべき事実である。
 大化改新は勿論奈良朝然り、各宗の母胎揺籃の地になったこと。又、世界に誇る万葉文学渕源の地ともいえよう。

 すでに我らの記憶から遠ざかったけれども、この土、この塵に曽て輝かなりし遠祖の香り、血が、汗が滲(にじ)んでいることを思い起せば心揺ぶられ身の鼓動を禁じ得ない。
 土地は枯れ、寺は寂びれて、み佛は傷つけども、領土・民族のあらん限り歴史のふる里ではある。悠久なる前に吾人は一瞬である。一生一度齷齪(あくさく)の中にも、此処に来た一時は大佛前に合掌し、古えの人の心にふれ、語り合い、民族の久しきことを国土の万世なることを願い顧みつつ懐古の情を温めることは報恩の一端ともなるものか。又、後代日本を背負う若人の弁(わきま)えでもあろうか。お互いの行く末無事安泰を黙祷されよ。飛鳥への憧憬、飛鳥への郷愁、此処に来て初めて満喫し得るものか。諸氏の心情果して如何に。
   平成十年四月吉日  住職謹記