飛鳥寺

 日本書紀によれば、崇峻天皇(すしゅんてんのう)元年(588年)に蘇我馬子(そがのうまこ)が法興寺を建立することを計画、同年5月に仏堂(金堂)・歩廊(回廊)が完成 、推古天皇元年(593年)には塔を起工し、同4年(596年)には一応の建物が完成したようである。推古天皇13年(605年)には丈六仏像を造り、翌14年に安置したとある。日本最古の本格的寺院で、その造営に際して多くの博士・工人が朝鮮半島から渡来して従事して当たったことが記されている。
 大化の改新や天皇の病気平癒など飛鳥時代を通して飛鳥における中心的役割を果たしたが、建久年間に焼失し、現在に至る。法興寺・元興寺とも称され、現在は止利仏師(とりぶっし=鞍作鳥)の作と伝える重要文化財の金銅丈六佛が残る。

 昭和31年(1956年)から継続的な発掘調査の結果、塔を中心に三方に金堂を置き、北側に講堂、南側に中門・南大門の跡があることが判明した。寺域は、南北290m、東西200から250mの規模をもち、飛鳥では大官大寺とともに、最大規模の寺院であった。