叡福寺(えいふくじ)聖徳太子御廟山号 磯長山(しながさん) |
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真言宗系単立寺院 新西国三十三ケ所霊場(客番)・河内西国霊場(21番)・河内飛鳥霊場(15番) |
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本尊 | 聖如意輪観世音菩薩 |
| 開基 | 聖武天皇 | |
| 縁起 | 聖徳太子がこの地を自らの廟と決め、推古28年(620年)に墓所を造営。翌年、太子の母
、穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后が死去したのでこの墓に葬り、更に推古30年(622年)には太子と妃の膳部大郎女(かしわべのおおいらつめ)とが同時期に亡くなり、この同じ墓に葬られ、三骨一廟とよばれている。
同年太子の没後、推古天皇が陵墓を守る為に寺を建立、その後、聖武天皇の勅願により、724年(神亀元年)
東の伽藍を(東福院)転法輪寺、西の伽藍を叡福寺とする七堂伽藍が整備された。平安時代以後、聖徳太子信仰の霊場となり、空海や親鸞
、日蓮など多くの高僧も訪れる。戦国時代末期には織田信長の焼き討ちにより全焼、その後
豊臣秀頼により聖霊殿が再建され、以後次第に再建整備がすすんだ。 叡福寺は「上の太子とよばれ、」「中の太子」は羽曳野市野々上の野中寺、「下の太子」は八尾市太子堂の勝軍寺である。「太子まいり」と呼ばれ親しまれている。 |
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| 御詠歌 | 磯長(しなが)なるみ寺もいまもうまやどのみこのみたまはしずまりてます | |
| 住所 |
大阪府南河内郡太子町太子2146 |
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| 交通 | 近鉄長野線「喜志」駅より金剛バス、「上ノ太子」行き、「太子まわり循環」、「葉室まわり循環」 いずれかのバス停「太子前」で下車。 | |
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聖徳太子の命日にちなんで4月11日と12日の両日に大乗会式が行われる。
叡福寺 |
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