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補陀洛とは観音浄土を意味する古代サンスクリット語の音訳。
はるか南の果てに、観音菩薩の住む極楽浄土があるという。
本州南の果てのこの土地は、もっとも観音浄土に近い土地。ここから、補陀洛を目指して船出するのが合理的ですね。
補陀洛山寺は、平安時代から江戸時代にかけて、僧侶たちが観音の浄土補陀洛山をめざした補陀洛渡海の最大の聖地でした。
仁徳天皇の御世に熊野の海岸に漂着した天竺(印度)の僧、裸形上人によって開山されたと伝わる古刹。その話が事実なら現存する日本でもっとも古い寺院ということになるのではないのでしょうか(同じく世界遺産の青岸渡寺も同じ縁起)。古墳時代の話です。天竺から流れ着いた上人が、はるか、はるか彼方の南の故郷、天竺の南端にあるという補陀洛に望郷の思い馳せながらこの地に住んだのだろうか。
釈尊は紀元前の人、4世紀当時の印度の仏教僧が布教の旅の途中に日本に流れ着いたとしても不思議ではない。
江戸時代末期の台風による壊滅まで、那智権現(熊野那智神社)山内の堂塔や社殿の修理のために勧進を行う本願所、那智の七本願の一つとして熊野三山の栄衰とともに隆盛を誇ります。
現在の本堂は、高床式四方流宝形室町様式で1990年に再建されました。
境内には入母屋造りの帆船で四方に発心門・修行門・菩提門・涅槃門の鳥居のある補陀洛渡海船(南紀州新聞社社主が平成5年に復元したもの)や補陀洛渡海記念碑があります。
また、1531年(享禄4年)に渡海した足駄上人の渡海木礼、渡海上人位碑、渡海船の部材が現存しています。
渡海船船上に造られた四方に鳥居が建つ屋形の中ににわずかな食料とともに渡海僧が乗り込み、出入り口には外から釘が打たれて固定され、他の船に曳航されて沖合い綱切島近くで綱を切られます。帆掛け舟の渡海船は南へ向かうわけですから北風が吹き出す旧暦の11月に行われたそうです。補陀洛渡海は、記念碑を見ると868年から1722年まで25回おこなわれています。
補陀洛山寺では、年に三回ご本尊のご開帳が行われるようです。
1月27日・5月19日・7月10日
(要確認) |