寛永寺

東京上野

東叡山 寛永寺 円頓院

天台宗関東総本山
創建 寛永2年(1625)
開山 天海僧正(慈眼大師)
本尊 薬師如来

東京都台東区上野桜木一丁目

 天海により比叡山延暦寺にちなみ、徳川家安泰、天下泰平の祈りを込めて創建(1625年)された関東の叡山。当時の年号をとって寺号を「寛永寺」、京の都の鬼門(北東)を守る比叡山に対して、「東の比叡山」という意味で山号を「東叡山」とし、それ以前の浅草寺の代わりに新しく祈願寺とした。寛永4年(1627年)には法華堂、常行堂、多宝塔、輪蔵、東照宮、寛永8年(1631年)には清水観音堂(重要文化財)、五重塔などの諸堂宇を建立。天海僧正は会津の生まれ。京都比叡山で修業し73才の時家康と出会う。
 天海の没後、三代目山主、後水尾天皇第3皇子の守澄法親王より必ず天皇家皇子もしくは天皇家の養子がなることになった。これが輪王寺宮(りんのうじのみや)で、比叡山延暦寺、東叡山寛永寺、日光輪王寺の3山を統轄(「三山管領宮」とよばれる)した。
三代将軍家光は遺言で自分の葬儀は寛永寺で、遺体は日光に葬るよう指示、これ以来寛永寺は徳川家の菩提寺となり、霊廟には四代家綱、五代綱吉、八代吉宗、十代家治、十一代家斉、十三代家定の墓(徳川歴代将軍15人のうち6人)がある。

 上野といえば西郷どん。かつては上野公園も寛永寺の境内で、寺域約30万坪という圧倒的な規模をほこり、大小百近い寺院や荘厳な堂塔伽藍が建っていた。
 徳川家の菩提寺として長らく栄華を誇ったが、慶応4年(1868年)幕末の上野戦争で、ほとんどを焼失した。残っていた徳川家霊廟の建物も第二次世界大戦の空襲で大部分が焼失した。現在の本堂は、明治12年に天海僧正ゆかりの地川越(埼玉県)の喜多院から移築された薬師堂で寛永15年(1638)の建造物。

清水観音堂重要文化財)
江戸三十三箇所観音霊場の第6番札所。
寛永8年(1631年)の建築。
京都の清水寺本堂と同様の懸造(かけづくり)建築。

上野寛永寺の写真