大峯山寺
山号 一乗菩提峰
宗派 修験道
創建 白鳳年間(7世紀後半)
開基 役小角(えんのおづぬ、通称 役行者、謚 神変大菩薩。伝634年 - 701年)
本尊 金剛蔵王権現
真言 おん ばさら くしゃ あらんじゃ うんそわか
札所 役行者霊蹟札所36寺社
文化財等
本堂・奈良県大峯山頂遺跡出土品ほか(国重要文化財)
大峯山寺境内(国史跡)
吉野熊野国立公園
世界遺産 『紀伊山地の霊場と参詣道』
2004年(平成16年)7月登録
(吉野 大峯登録資産)大峯山寺本堂
参拝期間 (5月4日〜9月22日)
5月3日(祝) 戸開式 午前3時〜
9月23日(祝) 戸閉式 午前3時〜
奈良県吉野郡天川村大字洞川字大峯山山上ヶ岳頂上
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世界遺産 大峯奥駈道 |
交通アクセス
大阪阿倍野橋・京都・奈良・名古屋から近鉄電車
近鉄吉野線下市口下車 (近鉄時刻表)
下市口から 奈良交通バス洞川温泉行き終点(1時間18分)
「洞川温泉」下車、/運賃1,280円 (奈良交通バス時刻表)
洞川温泉バス停より登山口(清浄大橋)まで徒歩約1時間。(タクシーあります。)
ここから山頂まで約3時間 |
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最初に整理しておきましょう。
大峰山、大峯山という山はありません。
大峰山、大峯山と言うとき多くの場合、大峯山寺のある「山上ヶ岳」を指しますが、大峰
山脈全体を指す場合もあります。通常山上ヶ岳から熊野へ続く大峰山系、大峰山脈などには「大峰」という字を使う事が多いようです。大峯山寺(寺院名)や世界遺産の大峯奥駈道に「大峯」の字を使用します。これには意味があるからです。役所関係作成の資料には「大峰山寺」と記されているものを多数見かけますが、同じ文章内で大峯奥駈道を大峰奥駈道と表記しているものは少ないようです。 |
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大峰山脈山上ヶ岳の山上にある修験道の根本道場、大峯山寺。
七世紀 法興寺(現在名 安居院 あんごいん 通称飛鳥寺)で学んだ役小角は僧にはならず、優婆塞(うばそく・在家の信者)として、山岳修行をはじめる。金峯山(きんぷせん)、現在名 山上ヶ岳・標高1719m)で修行中、金剛蔵王権現を感得、桜の木で尊像を刻み、金峯山寺(現在の大峯山寺山上蔵王堂)を建立し祀ったといいます。
また、尊像は2体刻まれ、もう一つは吉野の金峯山寺に祀られたとも伝えられています。
天平年間に行基が大改築を行い、参詣困難な山頂の蔵王堂に代わって山下にも蔵王堂(吉野・金峯山寺)を建てたとする伝承があります。
平安時代初期の9世紀末に真言宗の僧で醍醐寺三宝院を開いた聖宝(しょうぼう、理源大師)によって中興されます。これにより、密教が修験道に採り入れられていきます。
1534年(天文3年)、当時隆盛を極めた浄土真宗の吉野の拠点、六雄山本善寺(むつおさんほんぜんじ)の門徒宗が山上蔵王堂(大峯山寺)に攻め入り焼き払います。
1613年(慶長十八年)に江戸幕府は修験道法度を定め、修験道は真言宗系の醍醐の三宝院を本山とする当山派と、天台宗系の聖護院を本山とする本山派の管理下に組み入れられますが、金峯山寺は修験道の根本道場として存続。
現在の大峯山寺本堂は1691年(元禄元年)に再建に着手され、1706年(宝永3年)に完成したもので世界遺産に登録されています。。
現在の大峯山寺を「山上の蔵王堂」、現在の金峯山寺を「山下の蔵王堂」と呼んでいました。
明治時代の初め、1872年『明治5年9月15日太政官第273号(布)』、通称『修験禁止令』が出され、1874年(明治7年)に金峯山寺(山上・山下の蔵王堂)も廃寺になります。
その後、大峯山寺と金峯山寺蔵王堂として再興され、戦後特定の宗派からの独立、修験道の2大霊地として新たなる歴史をきざんでいます。
現在、大峯山寺は、戸開式の5月3日から戸閉式の9月23日まで、桜本坊(金峯山修験本宗)、東南院(金峯山修験本宗)、竹林院(単立)、喜蔵院(本山修験宗)、龍泉寺(真言宗醍醐派)の「護持院」と称される5つの寺院が交替で維持管理に当たっています。
吉野から熊野に至る大峯奥駈道約170kmには、古くは宿と呼ばれ神仏が宿るとされた道沿いの拝所・行場が120宿あったといいます。現在でも、靡(なびき)と呼ばれる
七十五の霊地・修行場があり、本宮から吉野に向かう奥駈けを順峯(じゅんぷ)、逆に吉野から本宮に向かう奥駈けを逆峯(ぎゃくふ)といいます。その中でも山上ヶ岳大峯山寺は奥駈け修験の最大の聖地です。山上ヶ岳全体を聖域として女人禁制が維持されています。 |
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