地蔵院 (関宿)

九関山宝蔵寺地蔵院

 

 

真言宗御室派

聖武天皇勅願所

西国愛染十七霊場第十番

 関のお地蔵さん「地蔵院」は、 関宿のほぼ中央に位置し、境内の本堂・鐘楼・愛染堂の三棟が国の重要文化財に指定されています。

 関の地蔵院は天平13年(741)行基菩薩によって創建されたと伝えられる古刹で、本尊地蔵菩薩座像は、わが国最古の地蔵菩薩と言われています。地蔵院本堂は 四代目、元禄十三年(1700)五代将軍徳川綱吉公の建立。天井には、仏典を題材に元禄時代の絵師狩野永敬が、十年の歳月をかけて描いた一七四枚の天井画が 描かれています。

 地蔵院本堂南側の愛染堂は室町初期の文永四年(1267)の建立、寛永七年(1630)に修理、最近も平成の大修理が行われました。室町鎌倉の建築様式としては 三重県下最古のもの。元禄十三年(1700)に新しい本堂ができたので、地蔵尊はそちらへ移り、そのあとへご本尊として愛染明王がまつられました。

 鐘楼は寛文十一年(1671)の建立。

 (誤って愛染堂、鐘楼の写真を消去してしまいました。本堂の写真も屋根の切れたもので申し訳ありません。 )

 
一休禅師の関地蔵開眼ばなし

 「関の地蔵に振り袖着せて、奈良の大仏婿(ムコ)にとる」の俗謡で名高い地蔵堂であるが、途中火災などに遭い、そのたびごとに再興されたという。
 むかし地蔵の開眼(カイゲン)供養をたまたま通りあわせた一休(イッキュウ)禅師(1394〜1481)に頼んだところ、禅師は地蔵にむかって「釈迦はすぎ、弥勒(ミロク)はいまだ出でぬ間の、かかるうき世に目あかしの地蔵」と詠(ヨ)み、前をまくって立小便をして立ち去った。人々は怒って別の僧に頼んで開眼供養をやりなおしたが、その夜世話人に高熱が出た。夢枕に地蔵が立ち、せっかく名僧の供養で開眼したのにと、供養のやりなおしを命じた。あわてて桑名の宿にいた禅師に助けを求めると禅師は古びた下帯をはずして地蔵の首にかけるよう手渡した。人々は半信半疑で言われた通りにすると、世話人の高熱はたちまち下がったという。関の地蔵が首に麻の布切れをまいているのはこの故事によるとか。

一休禅師の関地蔵開眼ばなしは右記ぺーじより拝借しました。

三重県鈴鹿郡関町師新所1173−2

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交通

JR関西本線 関駅

車 西名阪・東名阪自動車道より名阪国道関インターチェンジより国道1号線方面へ