相国寺(しょうこくじ)
山号 萬年山相国承天禅寺(まんねんざんしょうこくじょうてんぜんじ)
金閣寺・銀閣寺をはじめ全国に130ヶ寺余りある臨済宗相国寺派の大本山。
1382年足利義満が創建。1392年に完成した。開山は春屋妙葩(しゆんおくみようは)。その師夢窓疎石を開山第一世とし自らを第二世とする。京都五山の第二位。現在の本堂(法堂)は豊臣秀頼の建立した桃山時代のもの。
相国寺の歴史
菩提達磨(だるま)が坐禅によって悟りを得るインドの禅を中国に伝えます。その中国禅を大成したのがこの六祖慧能です。臨済宗は唐の臨済義玄を開祖とする禅宗の一宗派。鎌倉幕府が開かれる前年の建久2年(1191年)に明庵栄西(みようあんえいさい)が黄竜派(臨済宗)の禅を最初に日本にを伝えたのに始まります。相国寺の開山、夢窓疎石は、時の権力者に重用され、天龍寺船による元との貿易も促進して潤沢な資金を手に入れ、天龍寺を建立に尽力、開山となる。多くの優秀な門弟を育成し、相国寺の実質上の開山、春屋
妙葩もその中の一人でした。
春屋 妙葩は、夢窓疎石のおいで、17歳で出家修業に励み1345年に夢窓の法を継いだ。
足利義満が室町御所の東隣りに相国寺を創建、相国寺開山第一世として春屋
妙葩を招いたが、『先師の夢窓疎石を追請(ツイショウ)して開山始祖とするならば、第二世の住持を掌(ツカサド)ります』という要望を受け入れ、名目上夢窓疎石を相国寺開山第一世とする。相国寺創建の足利義満は、夢窓派の中心人物として五山の上に南禅寺をおき、五山・十刹制度のより強固な体制作りに貢献し、その後の五山文化の興隆をみる。五山制度はもともとは寺を格付け管理し、官が任命権をもって順次格式の高い寺に昇任させる制度で、その順位は時により変更になっている。現在一般に知られる五山の順位は至徳3(1386)年足利義満が定めたもの。1401年には室町幕府は相国寺を京都五山の第一位としている。
相国寺はその寺域が約144万坪あったといわれ、高さ100mもある七重の塔(七層宝塔)も度建立されたが、落雷により焼失。その後も、伽藍堂塔は戦災や火災でたびたび全焼。元和元年(1615)には徳川幕府が五山十刹に対し法度を出し、以後権勢は失われる。1788年天明の大火により、相国寺は法堂と数院を残してほとんど焼失する。1807年江戸時代後期に現存する方丈、庫裏が再建されるが仏堂は再建されないままに現在にいたる。
明治時代になり明治政府の廃仏毀釈政策による全仏教的危機状況に対して、相国寺第126世独園承珠は、仏教界を結束、信頼を一身に背負って大教正となり、政府の弾圧に屈せず抗議行動を起こし明治政府と折衝、仏教の信仰の自由を取り戻しました。彼の尽力がなければ、日本の仏教は今どうなっていたことでしょう。
信仰の自由を取り戻した後、明治九年に曹洞宗相国寺派を形成。 |