修禅寺・奥の院・指月殿・桂谷八十八ケ所巡り

修禅寺(しゅぜんじ)

山号 福地山(ふくちざん)
正式寺名 福地山修禅萬安禅寺(ふくちざんしゅぜんばんなんぜんじ)
宗派 曹洞宗
創建年 807年(大同2年)
開基 空海
ご本尊   大日如来
伊豆八十八ヶ所霊場第88番(結願寺)

年中行事
 毎月21日 - 弘法市
 4月と8月の20と21日の両日 - 大祭(弘法忌)
 8月21日には、鹿山において弘法大師奉納花火大会が催されます。

所在地 静岡県伊豆市修善寺964
0558-72-0053
伊豆箱根鉄道修善寺駅からバス(伊豆箱根バス・東海バス)


 弘法大師空海が発見したといわれる修善寺温泉の町並みの中心に修禅寺はあります。地元の人は地名を『修善寺(しゅぜんじ)』、お寺名を『修禅寺(しゅうぜんじ)』と発音をのばすことで区別しているそうです。
 修禅寺(しゅぜんじ)は807年(大同2年)に空海とその弟子が創建したと伝えられ、周辺の地名が桂谷(けいこく)であったことから『桂谷山寺』と呼ばれていたようです。修善寺縁起(解説板)によると、当時はこの地帯一帯に密教形式の堂宇が建ち並び、東国真言宗の拠点となっていたようです。

 1204年(元久元年)鎌倉幕府第2代将軍源頼家(生前《1202年》に建仁寺建立)が北条一族により幽閉されこの地において殺害されます。実母北条政子は、頼家の供養のために指月殿を建立しています。また、修善寺の本尊の大日如来像(重要文化財)を造らせています(解体修理の結果、7回忌にあたる1210年(承元4年)実慶の作と判明)。
 
 蘭渓道隆禅師(らんけいどうりゅうぜんじ・1246年《寛元4年》南宋から渡来した鎌倉時代中期の禅僧・臨済宗大覚派の祖・鎌倉の建長寺の開山・建仁寺11世住職)が元(げん)からの密偵の疑いをかけられて(1275年《建治元年》に北条時宗が元からの使者を鎌倉で斬る事件が起こっています)伊豆に逃れ、修善寺に止住し、桂谷が中国の廬山(ろざん)に似ていることから肖廬山と号します。それに伴って臨済宗に改宗します。このころから修禅寺の名称が定着したようです。南宋の皇帝から勅額が下るほど修善寺の名は中国に広がり、以後240年ほど臨済宗の寺院として栄えます。

 その後、戦禍や火災により荒廃しますが、北条早雲が伊豆国韮山城(にらやまじょう)の城主になり(北条早雲は1490年代から1519年まで在城))、自分の叔父にあたる隆渓繁紹禅師(りゅうけいはんじょうぜんじ)を住職として招き曹洞宗寺院として再建、山号も福地山と改められます。広大な土地を寺領として寄進され復興を成し、以後徳川家の援助もあり500年を過ぎ現在に至っています。

 現在の本堂は火災により1883年(明治十六)に再建されたものだそうで総欅造り延喜式風。
 2009年7月2日(木)
  修禅寺の住職が交代する退董(たいとう)式と入山式が行われました。約18年間住職を務められた田中徳潤師が退任され、新たに吉野真常師が就任されました。

桂谷八十八ケ所巡り

 弘法大師ゆかりの修善寺桂谷(けいこく)には約28キロの道のりのミニ88ヶ所霊場があり、四国八十八ヶ所霊場より移された砂のうえにご本尊の梵字を印した石碑が建てられています。修善寺では、毎年11月7→9日’(3日間)、僧侶の先達でミニ四国八十八ケ所の札所を巡る「桂谷八十八ケ所巡り」を実施しています。最近では、さらに気軽に巡礼出来るようにミニミニコースも設定されているそうです。

 
修禅寺写真

寺銘石
三門
三門扁額
手水舎
手水舎
鐘楼
梵鐘
だるま石
修禅寺本堂
本堂扁額
弘法大師像

桂谷(けいこく)88ヶ所巡り
44番札所
71番札所
 
 
修禅寺指月殿(しげつでん)

本尊 釈迦如来坐像
伊豆八十八ヶ所霊場番外札所
修善寺町修善寺934
修禅寺正面修善寺川を渡ったところにある「鹿山」の麓
指月殿の背後にある鹿山公園には、源頼家の墓、桂谷八十八カ所のうち、三十六番から四十四番までの札所のほか、源頼家のの家臣・十三士の墓、「おしゃぶり」の語源といわれる岩谷観音とおしゃぶり婆さん、源義経像などがあります。

 指月殿は、鎌倉時代に尼将軍と呼ばれた北条政子が、政争の犠牲となった実子である2代将軍頼家の菩提所として建立したもので、伊豆最古の木造建築といわれております。
 指月とは経典を意味し、かっては鎌倉から送られてきた数千巻にも及ぶ宋版大蔵経を収める経堂でしたが、経本は散失し、わずかに「放光般若波羅密経・巻第二十三」だけが、県指定文化財として、本寺の宝物館に残っております。
 本尊の釈迦如来坐像は、スギなどの寄木造りで、高さ203cm、この種の像としては伊豆最大で、鎌倉時代の作、ハスの花を持った禅宗式というめずらしい形をしているため県指定文化財となっております。
 阿吽(あうん)二体の仁王像は本尊よりさらに古く、藤原時代の作、かつての修禅寺境内は広大であり、当時は横瀬にあった寺門で入口を守っていたといわれ、本尊ともども非常に貴重な三体は昭和五十七年より二年の歳月をかけ、大修復が行われました。
 扁額「指月殿」は、元の名僧・一山一寧の書といわれますが、これは復製で、実物は修禅寺本堂に保管されています。(指月殿解説板ママ)

 この指月殿のすぐ裏に源頼家の墓があります。(解説写真参照)
 
  (鹿山公園写真)

指月殿
指月殿扁額1
指月殿扁額2
本尊釈迦如来坐像
仁王(金剛力士)像
源頼家の墓解説
源頼家の墓
源頼家の墓
十三士の墓
十三士の墓
岩谷観音と
おしゃぶり婆さん解説

おしゃぶり婆さん
岩谷観音横の石仏
源義経像解説
源義経像
 
 
修禅寺奥の院 正覚院(しょうがくいん)

本尊 聖観世音菩薩像
伊豆八十八ヶ所霊場番外札所
修善寺町修善寺2490
 修善寺から約5kmのところにあり、弘法大師が修禅寺を創建する以前の 791年(延暦十年)18歳の時に修行したといわれる桂谷の山寺です。
 ここで、1年の災厄を払い新年の幸福を祈る冬至の恒例行事「星まつり」が行われ、曹洞宗寺院では珍しい護摩壇(密教儀式)が設けられます。奥の院岩壁の「阿吽の滝」呼ばれる修行の滝があり、そこには弘法大師降魔壇という石があり、ここに妖魔を封じ込めたといいます。

修禅寺奥の院 「阿字苑」

 「阿字苑(あじえん)」は、平成10年3月に完成した修禅寺の奥の院にある公園。四季折々の自然観察が楽しめるようになっています。「阿字苑」は、公園全体が「阿」という字に似ており「阿」はものごとの始まりとの意味を合わせ持ち、弘法大師修行伝説に通じるとの事で、修禅寺第42世田中徳潤老師により命名されました。(修禅寺町産業観光課解説板参照)
 
修禅寺奥の院写真

寺銘・石碑
(入口)六地蔵尊
滝への階段
阿吽の滝
阿吽の滝
阿吽の滝
阿吽の滝「降魔壇」
境内
境内
境内石仏
境内石碑
修禅寺奥の院本堂
本堂扁額

奥の院 阿字苑
阿字苑解説
阿字苑1
阿字苑2
 
     
 奥の院よりさらに奥に、カツラの大樹(天然記念物。静岡県指定文化財)の根元に弘法大師の石像を祀るちょっとした秘境の『桂大師』があります。