古峯山 西光寺
天台宗
御本尊 毘沙門天、不動明王
東北36不動尊霊場23番札所
岩手県西磐井郡平泉町平泉北澤16
縁起 801年(延暦20年)坂上田村麻呂の「東征」に対抗して蝦夷(えみし)の阿弖流為(アテルイ)がたてこもったと伝えられる岩窟。勝利を得た坂上田村麻呂は、北天をつかさどるとされる毘沙門天の加護に感謝して京の清水寺を模した毘沙門堂を建立、鞍馬寺にならって108体の多門天を奉ったのが始まりとされ、その翌 802年(延暦21年)、奥眞上人により達谷窟の別当寺として西光寺を開山。 以後、「東征」の為の戦勝祈願、国家鎮護の寺として栄えることになる。奥州藤原氏が滅びるのと共に、西光寺の勢は急速に衰えていく。 時はうつり1615年(慶長二十年)伊達政宗によって、失われていた毘沙門堂は再建される。1945年(昭和二十年)には、再び火災に見舞われ、現在の毘沙門堂は1961年(昭和三十六年)に再建されたもの。 正月に行う修正會は千年以上も続いている神事 (仏事ではなく)だそうだ。 悪路王伝説 昔エミシ(蝦夷と呼ばれた先住民)の酋長であった悪路王と赤頭が要塞を構え、(誰に対してかはしらないが)乱暴狼藉を働いていた。そこで桓武天皇(781-806)は坂上田村麻呂(758-811)を征夷大将軍に任じ、 「東征」を行い二人を亡ぼしてしまう。 エミシのアザマロやアテルイの伝説をもとにした話。アテルイは河内国杜山で首を刎ねられて死んだ。 寺の解説板 |
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悪路王伝説からはじまる「達谷窟毘沙門堂縁起」
解像度が低くて少し読みにくいですが 私が訪れた2003年4月末のものです。 |
左記縁起にたいする批判に関しての別当常住名入りの寺院側の答えの様なもの。
題して 「征夷大将軍坂上田村麻呂公を顕彰する」 冒頭、「達谷窟毘沙門堂 縁起が中央寄りであるとか、甚しきは書き換えるべきであるという人がいる。」からはじまり、 「蝦夷(エゾ)を征伐し、佛教を拡めみちのくを鎮めた恩人」と坂上田村麻呂を褒め称え、最後に「南無田村大将軍」と、神仏扱いで終わるもの。 |
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磨崖仏 北限の磨崖仏とされている岩面大佛は前九年の役の跡、源頼義が彫ったというもの。 交通 JR東北本線平泉駅より岩手県交通バス厳美渓行きに乗り「達谷窟」下車。 |
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